政府の限界と「経済主体」としての個人事業主の可能性

マスメディアの報道に触れていると、経済の主役はまるで政府や中央銀行であるかのような錯覚を覚えます。そのような報道に繰り返し触れているせいでしょうか、景気が良くなるのも悪くなるのも政府(中央・地方)や中央銀行(日銀など)次第である、と考えている人々も少なくないようです。しかし、本当にそうなのでしょうか。

政府や中央銀行は強力なパワーを持っているように見えるかも知れませんが、実は、使える道具は限られており、どだい大雑把なことしかできないのです。社会の隅々にまでは到底目が行き届きません。たくさんの「取りこぼし」があります。

例えば、経済的に孤立して路頭に迷っているような人たちを世の中から無くそうと思えば、「あそこに困っている人がいるから経済基盤の立て直しに手を貸そう」と思って行動を起こす、そんなピンポイント的かつ柔軟な対応が不可欠なのですが、そのようなことは政府や中央銀行の職員にはできません。

よって、政策による「取りこぼし」はケアされぬままに残されてしまう。

今後、情報化や経済のグローバル化が進展するに従い、社会の変化のスピードはさらに加速し、これらの変化は様々な問題を発生させるでしょうが、法や制度を作らなければ新たな事態に対応することができない公的な機関によるこのような取りこぼしは、今後、益々増えて解決できない問題として堆積していくはずです。

一方、民間企業の経営者や従業員も単独で自由に意思決定をすることが難しく、目の前に困っている人がいても、組織の決定なしには、それを助けることは難しい。

では、いったい誰に期待すればよいのでしょうか。

ピンポイント的な対応を仕事として行える存在をこの社会の中に探せば、自分の判断で自由に動くことのできる個人事業主が、その役割を果たすのに最も相応しい経済主体として浮上してきます。

私が個人事業主に注目し、自らもその立場に身を置き続けているのは、まさに、個人事業主が、社会の隅々に目を向けて様々な問題を見出し、これらを解決するサービスや商品を臨機応変に生み出して提供することができる存在だからです。

実際、個人事業主の中には、「経済的に困っている人が生活の糧を稼ぐ基盤を再建するのを手伝うことで自分も経済的に富めるビジネスモデル」をその都度ひねり出しながら、上述した「取りこぼし」をケアする事業を継続している人が存在します。しかし、その数はけっして多いとは言い難い。たぶん、そんなことができるとは考えもしていない人がほとんどでしょう。だから「取りこぼし」は個人事業主によってもケアされないままで放置されている。

私は、十数年前からこのような状況をなんとかして変えたいと考えながら、ずっと足踏みを続けてきたのですが、私の願いを阻んできた最大の壁は、この社会の中に根強く存在する「困っている人たちを救うためには自分を犠牲にしなければいけない」という思い込みです。そういう思いを抱いていると、困っている人たちを見て心情的にはなんとかしたいと思っても、自分のことで精一杯な状態な人ほど尻込みをしがちです。

この思い込みを払拭することができれば、土壌中の汚染物質を分解して無害化するバクテリアのように、個人事業主が社会の隅々で勝手に「取りこぼし」を処理し、問題を解決・改善するようになるでしょう。

私は、そのような思い込みを消し去る方法を長い間、模索してきたのですが、インターネットが普及し、ソーシャルメディアが「使える」レベルにまで発達した最近になって、ようやく、それが可能であると確信できるようになりました。

このような方法を獲得することは、化学者が新たな化学反応を引き起こす触媒を探すようなものです。見つかるまでは大変ですが、いったん手に入れると、これまでなかなか進まなかった反応プロセスが急速に進行することが期待できます。

「触媒」に相当する「方法」を獲得して新たな「反応」を生み出すことによって経済上の問題を解決・改善しようという発想をする経済学者はほとんど存在しません。しかし、このような発想こそが、既存の経済学的アプローチよりも有効であると私は考えています。化学には「触媒化学(catalyst chemistry)」という分野がありますが、これに倣い、私が考えるこのようなアプローチを仮に「触媒経済学(catalyst economics)」とでも名付けておきます。

また、「制度」に基づく政府による組織的な活動によって問題を解決しようとする、これまでの方法の限界を越える上では、有害物質で汚染された環境を微生物などの働きを用いて回復させる「バイオレメディエーション(bioremediation)」の考え方が参考になると思います。

もし、個人事業主たちの間に発想の転換が起これば、「経済的に困っている人が生活の糧を稼ぐ基盤を再建するのを手伝うことで自分も経済的に富めること」が可能だと考えて、困っている人たちのために迷うことなく一所懸命に働く人が増えるでしょう。この際、このような活動に対して税金を投入する必要はありません。

一方、政府が生活に困っている人を救う場合には、通常、税金が使われます。大抵の公務員は、個人事業主のように民間人として生活基盤を構築した経験がないので、生活再建のためのノウハウを提供できず、税金を使う支援しかできないでしょう。

財政が危機的な状況にある現在、税金を投入しなくても困っている人たちを救える可能性のある個人事業主たちを重要な「経済主体」として浮上させて期待するしか道は残されていないと私は考えています。

個人事業主たちが自分たちの可能性に気づくようになれば、ソーシャルメディアなどの手段を駆使して互いに連携し、政府や中央銀行、その他の組織が対応できない領域で、幅広い範囲の問題について、きめ細やかで、かつ高度な調整を迅速・柔軟に行うことに挑戦する人たちが出てきてもおかしくはありません。

逆を言えば、そういう動きが出てこなければ、「取りこぼし」の堆積は解消されずに、社会を悲壮感や絶望感が覆い、治安が悪化し、様々な悲劇を生み出すことになるでしょう。

私のこの文章が、自由に意思決定ができる個人事業主の「経済主体」としての重要性について考えるきっかけになれば幸いです。

 

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