「『子供たちを戦場に送るな』って言っちゃいけないの?」という問いに対する僕の見解

「『子供たちを戦場に送るな』って言っちゃいけないの?」という文章がFacebookのタイムライン上を流れてきた。この問いに対する僕の見解を以下に述べる。

日教組の先生方は、「子供たちを戦場に送るな」と言えば子供たちが戦場に送られなくて済むとでも考えているのだろうか。

「子供たちを戦場に送るな」と言う権利は憲法で保障されているので、言ってもいいのだが、学校の先生たちがそれぐらいのことしか言えないようだと、子供たちが戦場に送られるのを阻止できないだろう。

そんなことを言っていると、右傾化した政治権力からパージされ、結局は教育現場が右傾化するのを許してしまう。政治権力の気に入らないことを学校教育の現場で言えば、叩かれたり、抑圧されたりすることは、過去の歴史を振り返れば容易に分かることである。

パージされないためには、心の中で「子供たちを戦場に送らないぞ」と思いつつも、表向きは徹底して「中立的」な立場を堅持し、右傾化した考えを「学問的に中立的でない」と批判して抑止する必要があるでしょう。

「中立的でない」ではなく「学問的に中立的ではない」と言って批判・牽制することが重要。

このようなことを書くと、「人は完全に学問的に中立的であることはできない」という屁理屈を述べて批判してくる者が出没する。相手をするのが面倒なので一言断るが、完全に中立的であることの難しさを自覚しつつ、それをひたすら求めながら思考するのが「学問的に中立的なスタンス」であり、これは完全に中立的である状態にあることを意味してはいない。

こういうスタンスを放棄している者が「学問的に中立的」であるはずがなく、「学問的に中立的ではない」と批判することは間違っていない。また、このように述べた者に対して「お前は自分が学問的に完全に中立的な状態であると考えているのか」と批判することは的を得ておらず頓珍漢である。

さて、今までの僕の経験から言えば、プライドの高い者ほど「学問的に中立的ではない」と批判されると黙ってしまう。つまり、このように批判することによって中立的でない発言を抑止できるのである。

これは右寄りの先生方と左寄りの先生方の双方に対して効力を発揮することができる。

「戦争は許せない」などと一言も言わなくても、戦争の悲惨さを子供たちに理解させることは十分可能である。

戦争が発生する条件や前提、構造、プロセスなどを学問的観点から分析的かつ論理的に説明し、人々が受けた被害について客観的な事実を示せば、戦争がどういうもの「であるか」を理解する生徒は少なくないだろう。

学校の先生方はたいていは大学教育を受けているはずだが、上のような語り方ができないのであれば、学問的な思考やものの見方を身につけないまま卒業したことになり、大学に通った意味がないと思う。

日本の学校には、大学で学問的な観点や思考を身につけることに失敗した人たちが、大量に教員として採用されているという現実がある。日教組の組合員だけでなく、組合員でない先生方(日教組ではこれを「非組合員」とか「非」と言う)も同様。後者は容易に政治権力のいいなりになってしまい、中立的であることはできない。日教組の先生方も中立的であることができない。

僕も子供たちを戦場に送りたくない者の一人であるが、学校の先生方が「子供たちを戦場に送るな」ぐらいのことしか言えないのであれば、子供たちを学校に通わせたくない。

 

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